築山御前について

「二俣の満月(つき)」だより   №2 2008年 このたよりは、歌「二俣の満月」(作詞:おがわひろし、作曲:おがわしげる、歌:竜 一樹)に関する情報を伝えるものです。
   つきやまごぜん
信康の母(築山御前)も    悲劇の最期を遂げた


  信康の母(築山御前)は、家康の室で、今川義元の姪(めい)にあたり義元の仲人で、家康と結婚しました。 その2年後、信康が生まれ岡崎城へりました。築山御前という名は、庭師命じ、城の庭に築山を造らせたことになんでいるようです。
彼女は、今川の血を引く気品のある性でした。しかし、義元を桶狭間の戦で屠った信長にとって、今川の血を引築山御前と信康は、危険な存在でした信長の娘徳姫を信康の嫁にやったぐらでは、安心できなかったのでしょう。 徳姫から父信長に宛てた12か条のえを証拠とし、信長は家康に信康築山前の殺害を命じました。築山御前は、である家康の待つ浜松城を目の前にし場所(佐鳴湖畔)で家康の家来に殺さてしまいました。信康の死とともに、国の世に散った悲劇です。

   築山御前の墓は、西来院(浜松市広沢)にあります 左の写真「月窟廟(がっくつびょう」が、御前のお の入り口にある石碑です。

 11月3日に行われた天竜産業祭(信康祭り)の、野外 ステージ(二俣小学校前)にて、竜 一樹により、
「二俣の満月」が唄われました。天竜で初めての発表でし た。多くの皆様のご声援をいただきありがとうございま した。(鈴木)